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[No.040]
新潟中越地震速報<その2>
若山 誠治 (若山建築事務所 一級建築士事務所 雨楽)

<執筆者>
若山 誠治(若山建築事務所 一級建築士事務所 雨楽)
<略 歴>
一級建築士
一級施工管理技士
昭和 52年 (有)七和設計
昭和 60年 菊池建設(株)三島工事事務所 所長
平成 9年 菊池建設(株)静岡支店 支店長
平成 12年 (株)リック工房専務取締役設計部長
平成 15年 若山建築事務所一級建築士事務所
雨楽 設立

 もう速報では無くなってしまったけれど、続報を送る。
 前回、地震力に真っ向立ち向かう手も有るけれど…と書いた。土蔵などは真っ向立ち向かうタイプの建築なのだが、それがどうなったかは前回の報告でふれた。
 今回は柔軟に地震力と付き合ったと思われる実例を紹介する。

■■■ 堀ノ内の小さなお堂 ■■■

 十日町から堀ノ内、川口町に至る県道は、いたるところが陥没したり、崩れたりしてひどい被害を受けた。周りの小さなたくさんの山は、いたるところで崩れて、場所によってはあたり一面山崩れだらけというような個所もあった。その県道沿いに一棟の小さなお堂がある。
 周りはコンクリートの土留めが崩れたり、玉石の石垣が崩壊したりして悲惨な有り様。ここもおそらく激震ゾーンの一部、相当な加速度の地震力がかかった事が想像できる。灯篭などは、もちろんあたりに散乱している。
 そういう状況の中で、この小さなお堂は無傷で建っている。少々立ちが高すぎて不安定な形をしているにもかかわらず、何事も無かったかのように静かな佇まいだ。あたりのただ事でない状況の中で、ちょっと場違いな気もするくらいだ。
 近づいてよく観察してみると、このお堂は6ほど柱や土台がずれている。礎石から外れる程ではないので倒壊は免れているのだが、お堂は激しい地震力を、自らが水平移動する事によって軽減したのだ。
 これは、伝統工法の免震性能のひとつ。終局的、破壊的外力がかかった時には、自らが動いてその力をやり過ごし、身を守る。
 このお堂はその性能を現実に見せて、けなげに建っている。良くぞ無事でいてくれたと思った。

倒れず建っていたお堂 崩れた道路 倒壊した家

 伝統工法によって建てられたこの手の建物は、災害に遭ってもその都度修復されて、200年も300年も保存されていくのだ。そのうちに、このお堂も村人の手によって元の位置にもどされて、まだまだ100年単位でこの場所に建ちつづけるに違いない。
 伝統工法のこの免震性能はよく知られているし、実験の結果も公表されている。参考までにご紹介しておく。

■■■ 飛び跳ねた利休の茶室 ■■■

 京都大学防災研究所で、利休が建てたと言われる国宝の茶室待庵の、実物大試験体で耐震実験が行われた。茶室は柱を礎石の上に置いただけで、建物と基礎をつながない典型的な伝統工法の建物だ。阪神大震災の最大加速度を超える、900ガルの地震動を入力してどうなったか?
 200ガルから400ガルの小中規模地震では、多少きしむ音がするぐらいで目立った損傷は起きない。500ガル、600ガルと大きな地震動になると、建物が水平方向に滑って地震力は軽減される。その後、900ガルの地震動が入力されると、茶室はついに飛び上がって完全に地震力を逃がしてしまう。茶室を地震力で壊そうとしても難しい。
 伝統工法の建物は、大きな地震力が加わった時に、自らが動く事によって破壊される事を免れる。大袈裟な免震装置を施さなくても、ひじょうに優れた免震性能を持っている事が実証された。

■■■ 彦根城 楽々園 地震の間 ■■■

 江戸時代前期、耐震屋敷として建てられたこの建物は、地震時に逃げ込むために作られた。伝統的な木造建築が、地震に対してどのような考え方をしてきたかを知る事が出来てたいへん興味深い。
 人工的な岩組みによって作られた堅固な地盤の上に建てられており、柱、土台が基礎石に固定されておらず、上部構造は軽く、下部の床組みに大材を用いて重心を低くし、建物そのものも軽く出来ており、天井裏には太い麻縄が対角線上に張られ、水平面剛性を確保しながらも適度な柔軟性をも併せ持つように作られている。また間取りは、どこからでも外に出られるように工夫されている。
 大地震時にこの建物は、架構を保持しながら適度に揺れ地震力を逃がし、破壊的な大きな力が加わった時には、建物全体がわずかに動いて倒壊を免れるように作られているのだ。

04.11.30 由比 あおの家にて 若山誠治