前回は、『鬼門をとなえるものはサギ師』といったが、前向きな考えとして、ぜひとも『地鎮祭・棟上式』をやっていただきたいのだ。
最近は、建設費用を低く見せるため、こうした行事を省くものもいるが、これこそ『風水の敵・施主と建築関係者を呪う』行為だといってよい。われわれの父祖の時代は、必ずこうしたことをやったのである。それは『長い経験』からくるものであった。なにか意味があるのだ。
ではなぜか、それは『家を最高の風水施設』にできるからである。
まず『地鎮祭』。これは、その土地の神に『ここを使用させてください』というとともに、そこを『神社』にすることでもあるのだ。
土地神に頼んでおけば、長く住む人に福がもたらされるのである。ばかりか、建築に関係する者の心をひとつにすることでもあるのだ。
『心がひとつになること』こそ、成功を保証し、幸福を確実にすることでもあるわけだ。これは関係者すべての願い・祈りでもある。そうした経験則から『地鎮祭』が生まれたのである。
◇儀式は最高の風水行事
つぎの『棟上式』は、建物が完成することを暗示し、土地と建物の『安定』、住むものの幸福を願う儀式である。こうしたことを『予祝』というが、『シアワセになーれ!』というから幸せになるのであり、黙っていてはなにも変わらないのである。
われわれの父祖たちは、この考えからさまざまな儀式を残した。棟上式もそのひとつ。そして同時に棟に関係者の名前とともに、祈り・願いを込めた棟札があげられるのだ。
これと最初の『地鎮祭』により、この建物は『神の住まい』であり、住むもの、建てたものの『願い』を込めたものになったのである。
神が住むことは、言葉を代えて言うと『神社』になったということである。神社であるから、『風水の治外法権地区』になったことであり、『最高の風水建造物』に変わったことを示している。
もうどんな風水の呪いも、怖くないというわけだ。
◇ツキは自分でつくれる
そんな祈り・願いを込めたのが『地鎮祭』『棟上式』なのだから、こうしたことはやったほうがいいのである。
そういう話や慣習を素直に信じる人は、やはり世間で人に好かれて、いい人生を送るのである。『ほんとかな?』と疑ってかかるような人間は、やはりいい人生を過ごしていない。
まあそういうわけで、『風水のツキ』を確実なものとするために、こうした儀式はやっていただきたいし、施主にも話してみることであろう。そのことは、なによりもいい家になることを示し、『風水の極意』にもなるとも言えるのである。
静岡県立大学国際関係学部教授 高木 桂蔵 |
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