駿河の国の首府、静岡は、古くは、万葉集の時代から『都市計画』が意識されていた。この証拠が、『駿府城』の位置である。奈良時代、駿河(富士川から狩野川)と庵原(いおはら・大井川から富士川まで)を統合して『駿河の国』が設けられるが、その首府に選ばれたのが現在の駿府城であるところである。国府とよばれた、国衙(国の官庁街)は、現在の駿府城天守閣地点にあった。
これは、風水原理からいうと、容易に理解できる。その都市の風水とは、下記のようなものである……図
|
<図1> |
---|
この配置は、奈良・京都・江戸・名古屋・大阪とすべて同じであるが、じつは静岡が『日本一風水がいいところ』ということは、あまり知られていない。
晩年大御所として、駿府城に住んだ徳川家康も、このことを強く意識していたのである。
日本一の風水都市。静岡
さて、説明していこう。1の山が東西と北をかこむ…というのは、寒い北風を防ぐのに効果があるからである。また山は、命のもとの水を供給する。京都の山に鞍馬山があるのは、周知のとおり。ここから加茂川が流れている。
また江戸の北には、日光(日荒山)があり、江戸の水源・利根川が流れているのも、同じことである。
静岡は、北に竜爪山、川として、巴川と安倍川(昔はこの川が静岡市内を流れていた)。そして、高草山から、ぐるりと山が囲んでいる。
3の街道だが、いうまでもなく、東海道、京都の西国街道と同じである。
4の南が開けて、水があるは、駿河湾で証明されよう。
5の『鬼門』であるが、京都は、東北の方位(鬼門・うしとら)に、人工的に比叡山を建てている。江戸は、東叡山とわざわざ東の比叡山とことわっている『寛永寺』をつくったほどだ。もうひとつ、筑波山が鬼門にあたるので『華厳寺』(現在の筑波神社)を充てている。
ところが、静岡はどうか、確かに鬼門の方位に沓谷(くつのや)に『あたご神社』を家康が置いた。今川時代に同じ目的で建立された『竜華寺』のとなりである。
しかし、『日本一風水都市』というのは、そのためではない。あの『日本一の霊峰・富士』が『鬼門』の方向にあたるからである。『日本一』の霊峰を鬼門よけにしたのだから、『日本一の風水都市』になるというわけである。
『日本一』は日本中にあるということ。
じつは、『日本一』は、日本中にあるのである。自分の街が日本一
と思えば『日本一』になるのだ。
そこで、『風水の第一原則』
『風水は、そう思うこと』なのである。
どの街でも『自分にとって最高な処、大好きな場所』と思えば、『日本一』になると言う事である。風水は、この『自己納得』のきっかけにすぎないのだが、『鬼門の方向に日本一の霊山富士があるから、日本一の街』と思えばいいというわけなのである。
静岡県立大学国際関係学部教授 高木 桂蔵 |
メニューに戻る