建てたい人と建てる会社の『建築ナビ』

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静岡県立大学 国際関係学部教授 高木 桂蔵

【序章】
風水は「その土地の祈り・願い」

 風水というと家相がありますが、これも基本的には一軒一軒違います。夏と冬とでは風の吹き方が違いますから、基本的には風通しのいい家をつくればいいわけです。南玄関がいいといっても、南側に家が建っていて、道路が北側にあれば、それは無理というものです。昔は土地が広かったからよかったんですが、いまは町中で敷地いっぱいに建てる。南玄関が物理的に無理な場合が多くなっています。そうしたら知恵を出せばいいのです。むかしは北玄関だと、陽が当らず暗かったから、南向きにしました。でも、今は北玄関で暗いと思ったら、電灯を付ければいいし、風通しが悪くて湿気がこもるとか、すき間風が抜けてくるようだったら、エアコンを付ければいいし、アルミサッシを付ければ済むだけの話です。
 傾向をしっかりつかんで、もし悪条件のようなことがあったら、それを上回る対策を立てれば、どうにでもなることが多いのです。条件を受け入れるだけでなく、人間がそれを上回る知恵を出すことです。それが風水なのです。
 「風通しがよく」「陽当りがよく」「湿気が少なく」「使い勝手のいい」家、これが「いい家」の条件です。ですから、風水の原則と建築学の原則は同じなんです。建築は、この条件に、もうひとつコストの問題があります。風水は商売ではありませんからお金の計算がない。損をしてまで家をつくることはないし、お金がかかり過ぎては建てられません。そういったソロバン計算を除くと建築学と風水は同じ考え方に立っているわけです。
 人は快適な家に住みたいわけです。今だったらこの条件が備わった家は、十分建てられます。大事なのは、その土地その土地で条件が違うということです。この土地でこういう家を建てたいといったら、専門家が考えてくれます。ですから、いわゆる『風水の法則』で、家相のみにこだわり、昔のものを今そのままに当てはめるのは、おかしいのです。
 わたしは最近、自宅を建てました。わたしの家は外階段で上がって二階が玄関。リビングと台所も二階にあります。南側に二階家が建っていて、一階は陽当たりが悪い。そこは風通しをよくして、わたしの書斎にしています。本は陽に当てなくてすみます。二階は朝から晩まで陽が当っています。裸でいたって下からは見えません。風はスースー抜けるし快適。風呂も二階にあります。固定概念として一階にリビングや台所を置きますが、わたしは二階につくるべきだと思います。わたしは自分なりにそう考えて、在来工法で三階建てでつくりました。三階建ては、すごくいいものです。要は「住みやすい」、これが風水の極意です。
 ただ、こういうことがあります。その土地土地で「こういう木を植えてはいけない」、などという言い伝えがあります。これは一部当っています。例えば家の南側に、夏は暑いからといって杉や桧を植えたとします。夏は葉が茂って、陽当りを遮りますから確かに涼しい。でも冬は陽が当たらないから寒い。「そんな木を南側に植えるな」というのは当っています。だったら「冬に葉っぱが落ちて夏に葉が茂るような桜や欅を植えたらいいか」、それは確かに陽当りに対してはいいですよ。でも桜や欅を家のそばに植えたら、根が持ち上がって家の土台を傾けてしまう。そんなものは家のそばに「植えるな」という。あるいは湿気を呼ぶようなビワやイチジクは、家のそばに植えるなとも言うでしょう。これは決してデタラメではないのです。その土地その土地で、実はそこに適した木があるわけです。
 例えば静岡市になくて浜松市にあるのがある。浜松は家の北側を槙の木で囲う。遠州の空っ風をそれで防ぐわけす。伊吹おろしの冷たい風が尾張を抜け三河を通って、遠州まで吹いてくる。それを防ぐわけです。そして藤枝や焼津、志太平野ですと北側にヤマモモの木を植える。ところが高草山の東側、静岡市では家の周りに木を植えることはあまりない。北風も遠州や志太平野と比べればそんな吹かないからです。すなわちその土地、土地で、それぞれ工夫したらそれでいいんです。
 風水は「その土地の祈り・願い」です。それぞれに歴史や自然の条件が違うわけですから、その土地にふさわしいものが必ずあるはずです。これは建築関係者に聞けばわかることです。

つづく

静岡県立大学国際関係学部教授 高木 桂蔵

 

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